これからのデザイナーが考えるべきこと
「デザイナー」と呼ばれる職業にも様々ある。
これから書くことは、そのすべての人に対してあてはまることではないと思われる。
ただ、今現在、あるいはこれから「グラフィック」というものに関わるデザイナー(/に携わりたい人※以降すべて同義)にとって
こうした考えを持ちデザインに向き合うことはきっと何かしらの変化を生むのではないかと思う。
そして、今後のデザインの可能性をほんの少し、広げる面も持ち合わせているのではないかという
ちょっとした期待を持って提案していると考えてもらえると幸いです。
昨今では、紙や実物がどんどん使われなくなっている。
多様化するデジタルデバイスにとって代わられている。
- 資料や本はPDFや電子書籍などのデジタルフォーマット化が進み、
- メールへ添付したり、タブレットやスマートフォン上で閲覧されるようになった。
- 写真も同様。あるいはデジタルフォトフレームに
- お店のメニューやオーダーもタブレットやスマートフォンで操作するだけでできてしまったりもする
- サイネージも画面上に表示されるケースが増えている。
- 名刺すらも今やデジタルデータでしか持たないケースすら出てきている。
- ロゴもデジタルコンテンツ化されていっている(ダイナミックアイデンティティーというものをご存知だろうか?)。
ただ、ここで言いたいのは、今後紙物などが無くなる、ということではない。
恐らく無くなることは無いだろうし、無くすべきでもないと考えている。
しかし、絶対数は確実に減るであろうということ。
そして、今後のデザイナーが作成する「デザイン」は そのほとんどがデジタルデバイス上で完結するようになるであろうということ。
この二つのことをまず理解しておく必要がある。
少し頭を柔らかくして見てみよう
タブレットやスマートフォンといった「モバイルデバイス」は非常に便利で
今や世界中を席巻していますね?
恐らく今後もしばらく、モバイルデバイスが主軸であることはゆるがないだろう。
そして、今後は新たなモバイルデバイスやその他様々なデジタルデバイスも生まれてくるだろうことも簡単に予測がつく。
- スマートウォッチやスマートグラスなど然り
- 自動車のコンソールもどんどんデジタルデバイス化が進んでる。
- 家電ももちろんデジタルデバイス化がされていっている。
- お金すらも電子化が進んでいっている。
このように、あらゆるものがデジタルコンテンツ化され、
それと同時にそれらデジタルデータを扱うのに都合の良いフォーマット=デジタルデバイスが求められ
これまでのものを代替していく流れが今現在、支配的な流れとなっている。
こうした流れを憂いでいても何も始まらない。
人々は一度手に入れた「便利さ」を手放そうとはしない。
それは歴史が証明している。
ならば少し、頭を柔らかくしてみよう。
こうした状況の中、「デザイナー」の肩書きを持つ僕たちは、どのようなデザインを行い、何をデザインすべきだろう?
デザイナーはアーティストではない。
求める人の為に、求めるものを作る。
求める人がいなければ、作ることすら叶わない。
今、時代が求めているのは、人々が求めるのは何だろう?
多分それは、デジタルデバイス上でのよりよい体験ではないだろうか?
自分自身、グラフィックデザインを愛し、その世界に魅せられた一人ではありますが
この流れの中で、デジタルデバイス上で様々に表現される新しい感覚-自分が作ったものが動き、変化していく様…そして双方向性に打ち震え、デジタルデバイス上の表現に虜になった経緯を持っています。
しかし同時に、様々なデジタルデバイス上のデザインを見ていく中で、「これが今できうる“すべて”だろうか?」という疑問も感じました。
デジタルデバイス上におけるデザイン-
ビジュアルもインターフェースも
世界的にまだまだ未成熟であると考えています。
まだまだ多分に改善の余地が残っている。 少なくとも僕はそう考えている。
ならば、洗練させていくのは自分たちの役目だ、と考える人がもっといてもいいのではないだろうか?
世の中のほとんどの人が、隙あらばずっっっっっと眺めているデジタルデバイス
その画面内…たぶん今後は画面も飛び越えてしまうでしょうが。
そこで「操作」を介して、使う人と様々なコミュニケーションを行う「デジタルコンテンツ」というものを
もっと面白く、美しく、便利にしていってみるのも良いのではないでしょうか?
そう、ここには「次の時代のデザイン」という可能性がある、そう考えてみてはいかがでしょう?
そんな「境界線」本当に必要?
確かに、デジタルデバイス上のデザインには、これまで知らなかった知識や技術、そしてテクノロジーなども知る必要があるかもしれません。 静的なデザインをしている時とは違った部分の頭を使う必要もあるでしょう。
それゆえか現状では、グラフィックデザイナーと呼ばれる人々と、デジタルコンテンツを主とするデザイナーは完全に分離していると言って差し支えないと思われる。 住み分け、だとか餅屋餅屋にだとか、専門性云々と言ってしまえばそれまでかもしれないが、果たして本当にそれで良いのだろうか?
先ほども言ったが、今後「デザイン」はそのほとんどがデジタルデバイス上で完結するようになるであろうということ。
紙の上や、静止した状態のみの観点でしかデザインしないことは
果たして時代に即したデザインだろうか?
少なくとも、自身が作成したデザインの「展開」を考えた際、
必ずデジタルコンテンツが絡んでくるのではないだろうか?
それでも、デジタルデバイス上のあれこれにほとんど関知しない状態でデザインすることや 丸投げしているだけで本当に良いのだろうか?
同時に、今現在デジタルデバイス上のデザインをしているデザイナーにも問いかけてみよう。
大量の「四角」を並べて、そのパターンを量産したり使いまわしをするだけがデザイナーの仕事だろうか?
目新しい動きや機能を無思慮に詰め合わせるのが「デザイン」だろうか?
作業の効率や合理性ばかりを重要視するのがデザインだろうか?
いつまでも“キットやテンプレートの上”で満足していていいのだろうか?
デザインの様々な珠玉の思想や思考、ノウハウはやはり歴史の中にある。
デザインの歴史の中で培われてきた、様々な技法や理論はデジタルデバイス上のデザインにも応用がききます。
むしろ、もっと応用していくべきだと考えます。
そうしたほうが、今よりずっとすばらしいものが世の中に溢れるようになるでしょう。
双方がもっと互いの分野のことを知り合い、お互いにもっと知見を広めていくべきではないだろうか?
これらの問いの中に、一つでも「そうかも」と思えるものがあるのなら 今現在、『自分の知らないこと』に知見を広め、使えるようになっていくべきではないだろうか?
これまで違う分野とされてきたものを跨ぐと「専門性が薄れる」なんて考える方もいるかもしれません。 でも、その分野ってそんなに絶対的なものでしょうか? 多分、世間一般から見れば「デザイン」というたった一つの分野の中の細かな区分け、程度にしか見えないと思います。
数学の世界で長らく解かれなかった予想や定理が、他の分野の考えや理論によって証明されたというのは有名な話です。(中には数学内の他の分野のもので)
数学に限らず、物理学だってそう。心理学と脳科学もお互いに補完し合えるような間柄であることも。
さて、こんな事例から僕たちも学ぶべきところが多くあるのではないでしょうか?
柔軟な発想こそ、クリエイティビティの源泉であり、
世の中的にもそのクリエイティビティを最も必要とされているのが、僕たち「デザイナー」ですよね?
デジタルデバイス上のデザインとは?その本質を捉える
グラフィックデザインとデジタルデバイス上におけるデザインには 共通の箇所もあるが、様々な違いも当然ある。
よくデジタルデバイス上のデザインは『(グラフィックデザインに比べ)制約が多い』なんて言われたりするが
実際はそんなことはない。
僕自身はグラフィックデザインのほうが制約が多いとすら感じる。
結局はそこに対して何を知っているか、というだけなのではないかと考える。
グラフィックデザイナーが戸惑うところと言えば、やはり 「変化すること」ではないだろうか。 観る側のデバイス環境によって、幅も色もフォントさえも変化してしまう。幅によっては、レイアウトを完全に変えてしまわなければならない。 ここにまず混乱してしまうところだと思う。
しかし、これはごく表面上の違いでしかない。
我々がデザインするのは一体「何か?」 この観点から考えれば、これらは大した問題ではない。
デジタルデバイス上におけるデザインは
『操作されるもの』である。
つまるところ、
- 観る側の何かしらのアクションが行われる
- そのアクションを促せるガイドが必要である
- その上で、アクションに対するレスポンス(応答)がある
これらの3つの要素が必須である。
静的なデザインであれば、そこに記載されている内容がすべてであり、その状態は基本、固定されている。 それを見る、あるいは使う人に何らかのアクションを期待するものも中にはあるだろう。だが、それはその制作物の中で完結しないアクションを求めるのではないだろうか?
しかし、デジタルデバイス上におけるデザインにおいては、すべてがその「画面内」で完結する。
そのため、「操作性」の観点と、同時に内容が絶えず変化していく、ということを念頭においてデザインする必要がある。
その変化の方法や、プロセスもデザインの範疇であると考えている。
また、見る側は基本、何かしらの目的を持って画面に向かう。 そして、その目的を達することを望む。
つまり、
- 上記3つの要素を適切に満たし
- いかに心地よく
- 最小限かつ自然な動作で目的を達成できるようにするか
が最重要なことで、これらをこそ考えれば良いということ。
同時に、この「最重要なこと」にフォーカスすれば、必要となる知識や技術もすぐに分かるだろうし、
例えすぐにピンと来なくとも、すぐに見つかるはず。
そんなに身構える必要は無いのだ。
そして、これらを実践するとどうなるのか、を端的に示した良い「教材」もある。
それがマテリアルデザインのガイドライン。
先ほどデジタルデバイス上のデザインには多分に改善の余地がある、と言ったが
マテリアルデザインが提唱され、デジタルデバイス上のデザインは大きく前進したと考えている。
あらゆるデジタルデバイス上で適切に機能するように、とGoogleのデザインチームとプログラマーチームが密に協力し生み出された新たなデザインの仕様である。
もし、まだマテリアルデザインのドキュメンテーションを読んでいないようであれば
一度すべて目を通してみることをおすすめする。
https://material.io/guidelines/material-design/introduction.html
これは一つのガイドラインだ。(そう、「鉄則」ではない)
今後のデジタルデバイス上のデザインを行う上で、一つの指標となる思想と考えれば良いと思う。
ビジュアル的に気に入らなければ、ガイドラインから外れてみればいい。(ただし、その根底にある思想は大切に)
デザイナーたる者、いつまでも“教科書通り”では一人前にはなれないのだから。
パッと見、少し前までweb上を席巻していたフラットデザインと似ている、と感じるかもしれない。 しかし、2つにはその根本となる思想の違いがあり、まったくの別物と考えるほうが良い。
個人的にフラットデザインは、デジタルデバイス上のデザインとしては失敗作と考えている。 ゆえに、ほとんどつくってこなかった。 マテリアルデザイン(&フラットデザイン2.0などと呼称される方式)が生まれた時、早々に切り替えたのも同様の理由からだ。
フラットデザインとマテリアルデザインは見た目上の違いや
リッチなアニメーションの有無程度にしか考えていないデジタルデバイス専門のデザイナーも多いのが現状であるが
最大の違いが前述の『操作されるもの』という前提に基づいたロジックになっているかどうかという部分なのだ。
ガイドラインを隅から隅まで読めば、ここで言っている意味や「似て非なるもの」であることが理解できるだろう。
同時に、形ばかり似せただけの“えせ”マテリアルデザインが多いことにも気付くようになるだろう。
とはいえ、フラットデザインには多くのデジタルデバイス上のデザインから入ったデザイナーに「削ぎ落とすデザイン(※)」が認知されるきっかけとなったという側面もあり、急速にデザインが洗練されていくきっかけになったのは確かな功績だと思う。 ※構成要素をシンプルにすればするほど、要素間のバランスや構成の粗が浮き彫りになるため結果的に自身のデザインを見直すきっかけにもなる。その為、よりシビアな感覚を養うことができる。(自分ごときの腕で、デザイン論を語るのはおこがましいのではあるが、ここは一つ目をつぶっていただけると幸い)
これからデジタルデバイス上のデザインを行っていこうと考える方へ
次のことを注意してみることをおすすめします。
- 絵/図形、テキスト、ギミックの明示的な分離
- 可変する天地と縦横比に対応する構成
- テクノロジーに対する理解
- 汎用性
1.が最も重要であると考えている。繰り返しになるが、『操作されるもの』ゆえ それが絵/図形(観るもの)なのか、テキスト(読むもの)なのか、ギミック(操作可能箇所)なのかを一目で理解できるように心がけるということ。 ギミックかと思いタッチ、クリックしても何も反応が無い、というのは「観る側の期待を裏切っている」ということだと知らなければならない。 また、ギミックが見落とされるということは、デジタルデバイス上のデザインとしては「落第」であると知らなければならない。
2.に関してはミリ単位の調整に囚われすぎないというイメージ。あそびを大きくとる必要がある。 例えば。要素の位置を0.1ミリ単位で拘るのではなく、全体の中でどのあたりの位置(割合で右から何割、上から何割程度の位置…など)に配置するのか といった視点に変える必要がある。 その上でデザインが破綻しないように構成するというのは、最初はなかなか骨が折れるし頭の切り替えがなかなかいかないものだ。 今まではその0.1ミリのズレに神経を尖らせていただけに。それゆえの「ミリ単位の調整に囚われすぎない、あそびを大きくとる」という考えである。
3.デジタルコンテンツにはインタラクションとモーション(リアルタイムでの動き)がある。それらを実現する為にはグラフィックやレイアウトの知識だけではなく、プログラムなどへの理解も少なからず必要だ。また、「そのデバイスで何ができるのか?」について熟知しているのとそうでないのでは生み出せるアイデアにも雲泥の差が生まれる。
4.に関してはデジタルコンテンツに関するテクノロジーには目まぐるしい流行り廃りがある。「新しく何を取り入れるか」と考えた時、その技術がどれだけの範囲のものに使えるか?そしてどれだけ多くの支持を得られるものなのか?という見方をし、選別していくべきだと思う。ほとんどのものは消えていく。せっかく覚えたものが使えなくなるよりは、今後のスタンダードになっていくであろうもののみに集中したほうが効率的だ。
デジタルコンテンツ上のデザインから入られた方は、エディトリアルデザインの技法などに習ってみるのも一つです。写真を活かすレイアウトとはどのようなものか、あるいは、大量のテキストを上手に使う方法、それ以外にも様々な構図や構成に関する知識やノウハウを得られるでしょう。
その他、平面構成や色彩感覚、フォントやタイポグラフィ、そしてガイドサインデザインなども学んでみると良いかもしれません。(認知科学がふんだんに盛り込まれた珠玉のノウハウなども見つかるのでは?)あるいはライティングや建築パースなども意外に為になったり…
学びはあらゆるところにあります。
その中に意外な発見が多々あるものです。
これからのデザインを作っていくのは、今現在携わっている僕たちです。
成熟させるも、停滞させるも僕たちの考えと姿勢次第です。
個人的には、このあたりの細かな垣根なんて全部無くしてしまえばいいのに、なんて考えを持っているほどです。
そうしたほうが、デザインの可能性はもっと広がる、もっと面白くなると考えているからです。
まだ、改良の余地が多分にあるのなら、もっと良くできる、もっと楽しいものにできる余地があるのなら あるいは、今現在これらの魅力が感じられないなら、どうすれば魅力的に感じるものになるのか? そんなところにクリエイティビティを発揮していくのも、今僕たちのすべきことではないでしょうか?
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